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口ずさめるミュージック

現代文明は個人の性の快楽を白昼の光にさらすとともに、死そのものと、死んで行く人間とを、あたかも卑猥なもののように暗闇のなかに押しこめた。死にのぞんで、現代人はもはや家族に訣別の句も残す機会もなく、畏敬のまなざしで見送られる光栄もなしに、病院の集中治療室で孤独に死ななければならない。裏返せば、生き残る側の現代人は、死者と自分とをつなぐより大きな生命の存在を実感し、固体の死を媒介として、人類永遠の生命を感じとる機会を奪われているのである。
正直に告白すれば、われわれはすでに、人類全体の生命などというものに痛切な関心をもっておらず、したがって、それが失われることにも倫理的に切実な痛みを感じてはいない。われわれが真に怯えるのは、具体的な私の死であり他人の死であって、さらに率直にいえば、私ひとりの生命の終りだけだといえる。われわれが他人の死を恐れるのは、それに自分自身の死の投影を見るからであって、そこから生じうる道徳律は、自分が死ぬのがいやなら他人をも殺すな、という論理にすぎない。いうまでもなく、これは本質的に利己主義的な論理であって、「恐怖の均衡」によって社会のえ平和を保とうとする、いわば虚無的な実用主義にほかならない。
もし、われわれが牢獄に囚えられ、そこでなんの栄光も尊厳もない不条理な死を宣告され、完全な絶望に直面したとき、この論理がどんな役に立つかを考えれば、問題は明らかであろう。われわれはそのとき、自分が殺されるからには他人をも道連れにし、全人類をすら道連れにしたい、と願う十分な可能性を持つのであって、少なくとも、この論理はそれを禁止するだけの力を秘めていない。
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コメント

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タイム
開始

終了(*'ω'*)

早い・・・

僕の見ている目の前でツナギのホックをはずしはじめたのだ・・・!


まで読んだ

ちゃんと「くそみそな結果に終わったのでした。」まで読んでください><

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